ホーム > やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 > 彼ら彼女らスクールカーストが高い人間は自分より下のカーストにいる人間に対して悪感情など抱いていない場合が多い。悪感情どころかそもそも興味がないのだ。 【 関連の名言集もチェック! 】 - 作品・キャラクター:やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。, 比企谷八幡 - テーマ:人間関係・友人関係, 学校, 日常・現実, 生きる, 自由 Twitter Facebook LINE このアニメ名言は気に入りましたか?最高! () ★人気の関連名言はこちら★ 正しいやり方が偉いだなんて、それこそが怠慢だと俺は思うのだ。 それは今までの伝統と正攻法にのっとっているだけじゃないのか。 過去の財産に依存して、権威に寄りかかって、未だ何者でもない自分自身を塗り固めるものではないのか。 自分の正しさを誰かに委ねることのどこに正しさがある。 俺もお前も、常に自由な風だ… 俺を縛りつける日常なんて 今すぐにBYEだぜ… 俺は気ままに生きる… せっかく命をもらったんだもん。自分が好きなことだけして、自分の好きなことだけを考えて、毎日楽しく生きていけばいいのよ。/…違うよそれ。(ドーリィ/カバオくん) 残ったラムネはノートの切れ端に包んでカバンに入れた ひなちゃんとモモちゃんにあげたら喜ぶかもしれないと思ったから 会いに行こう あの橋を渡って ―そしてラムネの作り方を 部活の話を 野口先輩の話を 先生の話を ―聞いてもらいたいと思ったんだ い、いやそこでなんで俺なのかよくわからないんだけどおいてめぇ、本当にわかってないとしたらさすがの俺も怒るぞ。 ほかにも女子に好かれそうな奴、たくさんいるじゃんよかった…。葉山は自分がモテている自覚はあるんだ…。よくない、絶対に許さない。 学生生活における「みんなで遊びに行く」というのは踏み絵なのだ。まず、誘われるかどうかでふるい分けられ、実際に遊びに行った際の対応でランクが分けられる。 環境が変わってもお前が変わるわけじゃない。高校入れば何かが変わるっていうのは幻想だ。夢を見るのはやめておけ 他人は自分を映す鏡であるという。 つまるところ、他者も所詮は自分というフィルターを通して見た虚像にすぎないということであり、故にあるのは自分という存在だけ。 結局、人が考えるのは自分のことだけなのだ。 地元の公立小学校から公立中学校にあがる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。小学校卒業時のマイナスを抱えたままスタートしなければならない。新しく友達ができそうになっても、過去の負債がどこからか入り込む。 敗北を認めた瞬間こそが最大の攻撃を受ける。正義は勝つという固定概念のおかげで、負けた者が必然的に悪になる。悪に対してはいくらでも叩いていい。 それが学校社会におけるルールだ。 コメントを残す コメントをキャンセル