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夏の星は本当に節操がないですからね。めったやたらと輝いて。輝きを必死に誇示しようとする。消え行く間際に自分がここにいるということをわかってもらおうと
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俺達は、眠りながら目覚め、目覚めながら眠っている。過去は事実か?記憶は真実か?夢はどこから夢なのか?寝ながら見る夢、起きていて見る夢、どちらも同じだ。夢を見ないという奴は憶えていないだけ。夢がないという奴も気付いていないだけ。臆病なのさ。見たいくせに見ないようにしてるだけなんだ。
間は救いきれぬ。生きていく以上、どうあっても報われぬ者が出てしまう。全ての人間は幸せになどなれぬ。ならば救われなかった人間とは何だ。その一生は何をもって報われるのか。 答えはない。無限と有限に等しいのだ。救われぬ者がいなければ、救われる者が吐き出されない。ならば救済など、ただ巡るだけの金貨と同じだ。 人問は救われない。世界に救いなどない。だから死を記録しようと思った。物事の最後までを記録して、世界の終わりまでを記録して、一から最後までを検分する。その上でなら、一体何が幸せだったのか判別がつくだろう。 報われない者も救われない者も、その全てを一から見なおす事ができるのなら―何が幸福と呼ばれるものかを判断できる。世界が終わった後、この出来事こそが人間の意味だったと解るのならば無意味に死んでいった者達にも、総じて意味が与えられるのだ。故に世界が果てれば、人は、人間の価値というものを検分できる。 それだけが―唯一、共通の救いである。
この英霊サマは、よりにもよって 戦場が地獄よりもましなものだと思ってる。 冗談じゃない、あれは、正真正銘の地獄だ。 戦場に希望なんてない。あるのは掛け値無しの絶望だけ。 敗者の痛みの上にしか成り立たない。 勝利という名の罪過(ざいか)だけだ。 なのに人類は、その真実に気付かない。 いつの時代も、勇猛果敢な英雄サマが、 華やかな武勇談で人の目をくらませ 血を流すことの邪悪さを認めようとしないからだ。 人間の本質は石器時代から一歩も前に進んじゃいない。
皆に真実を告げるべきでは?/真実とは何だロシウ、村を滅ぼすものが真実だとしたら、そんなものが必要か?この村に、多くの人を養うだけの力はない わしが村の長(おさ)になって初めてしたのは ここに暮らすものの数を 50人までと定めることだった。ひとりでも多くなってはいかん 甘えと情に流された時、この村は滅ぶ わしにとっての真実とは それだけだ (ロシウ/司祭)
今さえ良ければいいって考え方は 刹那的かしら 刹那主義はズルイかしら瞬間を大事にするのはこだわるものが何もないから? 少なくともその方が美しいから?いつまでもこだわって昔を引きずって生きている人もズルイかしら 見苦しくて 暗くて 発展性もない でも本当は本人が一番引きずりたくないかもしれない こだわるのは本当の意味でこれ以上引きずりたくないから・・・
シートン動物記のETシートンは「追跡不可能な動物はいない」といった。走るのが早い動物よりも「地形」と「風向き」「動物の習性」を研究している人間のほうがちょっぴりだけ有利というわけだ。いずれ追いつく。
「筋肉」は信用出来ない。皮膚が「風」にさらされる時、筋肉はストレスを感じ、微弱な伸縮を繰り返す。それは肉体ではコントロール出来ない動きだ。ライフルは「骨」でささえる。骨は地面の確かさを感じ、銃は地面と一体化する。それは信用できる「固定」だ(ジョンガリ・A)
たとえ話で、君はこのテーブルに座った時 ナプキンが目の前にあるが 君はどちら側のナプキンを手に取る? 向かって「左」か「右」か 左側のナプキンかね? それとも右側のナプキンかね? /普通は「左」でしょうか/フム それも「正解」だ だがこの「社会」においては違う 「宇宙」においてもと言い換えていいだろう /宇宙?/正解は「最初に取った者」に従う・・・だ 誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が「右」を取らざるをえない もし左なら 全員が左側のナプキンだ そうせざるを得ない これが「社会」だ 土地の値段は一体誰が最初に決めている? お金の価値を最初に決めている者がいるはずだ それは誰だ? 列車のレールのサイズや 電気の規格は? そして 法令や法律は? 一体誰が最初に決めている?民主主義だからみんなで決めてるか? それとも自由競争か? 違うッ! ナプキンを取れる者が決めている! この世のルールとは「右か左か」?このテーブルのように均衡している状態で一度動いたら全員が従わざるを得ない! いつの時代だろうと この世はこのナプキンのように動いているのだ そして「ナプキンを取れる者」とは万人から「尊敬」されていなくてはならない 誰でも良いってわけではない 無礼者や暴君はハジかれる それは「敗者」だ このテーブルの場合「年長者」かもしくは「パーティ主催者」に従ってナプキンを取る 「尊敬」する気持ちが全員にあるからだ 仮にこのテーブルに「イエス様」がつかれているとしたら、たとえどんな人間だろうとローマ法王でさえイエス様のあとに ナプキンを取らざるをえないだろう?
主役っぽいからです!/フハハハ、なるほど、主役っぽい。確かにそうかもしれん。だがな、キャロル、誰を中心に添えるかで、同じ事件は千変万化に姿を変える。つまり、事件は一つけれど物語は、それに関わった人の数だけあるのだ。キャロル、この物語の始まりは我々であってもおかしくはないという事だよ。(キャロル/副社長)
飛んで行くテントウ虫を見送りながら 零ちゃんが話してくれた 「天道虫」という名は むかしの人達が この小さな可愛い生きものが 太陽に向かって飛ぶところを指して つけた名前なのだと